日立心房細動連携パスと薬剤師の役割

2月17日水曜日にホテル天地閣にて、日立医師会主催の「日立心房細動連携パス説明会」がおこなわれました。

医師の研修会なのかと思われましたが、医師会から薬剤会へも案内がきましたので、それではと、こっそりお話をうかがわせていただきました。でも、きちんと薬剤師の役割の説明もあり、なるほどと思いました。

 

まず、市内脳外科の先生より、「当院へ入院した心原性脳塞栓症患者の状況」と題して、脳塞栓症の約3割(多分;^_^A)にあたる心原性の脳卒中患者の現況についてお話がありました。心原性の脳塞栓症患者の多くはかかりつけ医をもっていること、抗凝固薬の服用には至らず、抗血栓剤の服用にとどまる患者が多いことの説明がありました。

心房細動を持つ患者には抗血栓剤は無効で、抗凝固剤の投与がどうしても必要であるという事実の確認をされました。

印象的なのはアスピリン製剤についてのお話です。アスピリン製剤は服用していても心原性の脳塞栓症には全く無効で、連用による有害事象しかおきないことのデータの説明がありました。安易なアスピリン製剤の処方は、あいまいな判断の収束であり、抗凝固薬の処方の決断を促進するためにもこの連携パスは重要な役割を果たすようです。

 

その後も抗凝固薬の処方の障害になっている、副作用の心配と患者のコンプライアンスの悪さのお話がありました。

ワーファリンは相互作用や納豆などの食事の制約、出血リスクを患者が受け入れないこと、NOACは価格が高いことがコンプライアンス低下の原因になるというお話もありました。そもそも患者は病気の自覚がないという問題もあります。

 

未治療の患者よりも、心房細動の診断を受けているのに、抗凝固剤の処方を受けずに病気を発症する患者が一定数いる状況を打破するために「日立心房細動連携パス」をたちあげるというながれです。

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市内のかかりつけ医は、心房細動の患者を循環器科がある病院に紹介して、こまめな検査と管理においてワーファリンまたはNOACの導入をして、後に自院に戻ってもらう、継続的な抗凝固剤の処方をおこなうための連携づくりが目的です。これは抗凝固薬の導入時の副作用の懸念や患者のコンプライアンスの向上において、専門医が介入することによる問題の解消を得られるもので、結果的に救われる患者の数を増やすことになります。

連携パス実施の際には、ワルファリンカリウムかNOACかを患者の背景を含めて紹介することもできるようにするとのことです。つまり、かかりつけ医から患者の服用薬についての希望の伝達もおこなわれ、尚且つ、患者の年齢、腎機能などを考慮した薬剤の選択の支援もされます。高額な薬を固辞する患者にはワルファリンカリウムの導入もあり得るし、服用コンプライアンスがしっかりしている患者はNOACの導入も早期に可能としての加療とか、ワルファリンカリウムとNOACの相互の切り替え時の紹介受け入れとか、判断の連続と連携を病院間でおこなってゆくことになります。

 

 

それでは、薬剤師の役割はというと

一番にもとめられるのは服薬指導において、NOACなら怠薬をさせないための工夫や、ワーファリンなら服用における相互作用の注意になるわけです。特に医師の先生方はNOACの服用管理が悪い患者が存在する現実と遭遇する事例をもって、薬剤師にはしっかり働いてもらいたいと願っています。ワーファリンからNOACに切り替わった患者が服用をしないでいる頻度が多ければ、まさに命にかかわるリスクが大きくなるわけです。

 

そして、これ「心房細動連携パスシート」です

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「日立心房細動連携パス」のツールにお薬手帳が利用されることになりました( ´ ▽ ` )ノ

このシートはシール紙になっていて1枚はお薬手帳の1ページに入るサイズになっています。お薬手帳ですから、患者の服用薬についての項目はこのシートに含まれません。

患者がお薬手帳を、かかりつけ医から専門医へ、または専門医からかかりつけ医へ繋ぐことによって、連携パスが成り立つシステムです。

このシートには薬剤師の記入欄もあります、患者の服用状況について必要なことは記載しなくてはなりません。患者の命を守るために、薬剤師も最大限の誠意をもって医療に参画しなければならないし、それを求められています。

そして、原点に帰って、お薬手帳の重要性を啓蒙してゆくのも役割のひとつなのだと思います。電子お薬手帳が取り沙汰される今日この頃ですが、やはりアナログのツールの必要性と重要性を再認識させられた出来事でもあります。

医師が連携のツールに選んだのはアナログの、手に取れる手帳であることをしっかり胸に刻み、今後の薬局のあり方を模索してゆく必要があるのではないでしょうか。

安易なデジタルのルーチンに陥ってしまう日常から、やはり人間構造の根本であるアナログまたは、複雑機械である生物としての混沌なる表現である乱筆による文字を、書くことが必要ではないかと思うわけですよ( ̄▽ ̄)

 

 

とりとめのないまとめですみませんm(_ _)m


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