5年前の大震災と日立市と薬剤師

3月11日は、5年前も金曜日でしたね。

今日お会いした患者さんの中に、5年前のこと、薬局で調剤を受けた後に震災にあわれたことを思い出して語ってくれた方がいました。同じ金曜日の病院受診後で、薬を手に入れた後だったので助かったとおっしゃってました。

自分の薬がない状態で混乱の中に投げ出された人たちは、本当に不安だったと思います。薬を手に入れなければ命にかかわる人だっていました。

 

5年前、日立市内の多くの薬局は、自分の薬局も被災したまま、電気も水も止まった状態で、混乱の中で薬や衛生用品の供給を続けました。3月12日には在宅の訪問を実施していた薬局もあり、がれきの中、徒歩で患者さんのお宅にむかう薬剤師の姿がありました。

自分たちの街より東北ではもっと甚大な被害がある様子で、そんなに遠いところではない福島原発では原子炉が爆発に至っていることもわかる中、目の前で起こることに対して懸命に対応していました。

ライフラインが復旧しはじめるのと同時に基幹病院の処方せんの発行にも対応できた記憶があります。全壊していない薬局では、修復や修理、片付けは後回しの状況でした。

 

日立市も津波の被害が大きく、一部の公民館・体育館は避難所として利用されました。そこに福島原発事故の影響から逃れるために、いわき市を中心とした地域からの避難者を受け入れる事態となり、短くない間、避難所には大勢の人たちが過ごしていました。

避難所では当然のように病人が発生し、また、持病の薬の持ち合わせがなくなる人たちもいたわけです。日立医師会は市と連携をとり避難所の患者発生に対応しましたが、そこに薬を供給する薬局と薬剤師はお互いに系統だった連携がとれず、各々の判断と行動力で活動しました。それぞれが本当に苦労する経験をしました。

例えば、県外から避難してきた方に対して、必要な医薬品があり、必要性を医師が判断したので、薬剤師は調剤をするのですが、そのための薬剤を、福島とちがい救援物資として援助されていない日立市では、薬局で持ち出すことになるわけです。

金額が安くはない医薬品を供給するうえで、いったい誰が薬品代を負担するのかを薬局自身が模索しなければなりませんでした。市の担当者は国が負担するといいますが、正式な救護所でないところに支給される要件がさっぱりわかりませんでしたし、患者には薬品代はかからないとアナウンスします。ボランティアは大いに結構です。でも薬品を供給したら代金を回収しないと大変なことになります、炊き出しをおこなうのとはわけが違います。

患者に薬品を供給するために関係機関に掛け合い、了承をえるためにかなりの労力と時間を使いました。うんざりしたことを覚えています。私だって、混乱の中で無駄な感情の起伏に翻弄されて疲弊するよりも、家族のそばにいたかったですから(T . T)

 

まあ、そんなわけで、

昨年の3月に日立市と日立薬剤師会のあいだで、「災害時の薬事に関する医療救護についての協定」が正式に結ばれたことは素直に、本当にうれしかったです。たとえ同じような災害がおきたとしても、薬剤師は系統だった活動ができますし、積極的な関与をしても、例えば薬剤を持ち出しても保障が得られます。

有事に、市民のために活動するときに、無駄な要件に悩むなんて馬鹿げていますから。この日立薬剤師会の成果は大きいと思います。

また、日立薬剤師会として地域医療協議会に参画することにより、「大規模災害事故対策訓練」にも毎回協力参加しています。

震災と切り離せなくなった原発事故を想定した「安定ヨウ素剤の事前配布」においても薬剤師会として態度を示しています。

 

言葉を選ばなければ、幸いなことに、私たちは大規模な災害の経験を少なからず、することができました。日立市だけではなく、福島の、東北の経験だって継承することができる環境にあります。

直伝のもの、横のつながりで伝わるもの、なんだって良いじゃないですか、未来に活かすことができるのなら、使いましょう。

そのためにちょっとずつ手をたずさえて、ちょっとずつ気にかけあって、薬剤師どうしでも、もっとするべきでしょ( ´ ▽ ` )ノ

だから、市民の皆さん、また薬剤師の皆さん、日立薬剤師会を是非ご利用くださいませm(_ _)m

 


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